角松敏生 SEA IS A LADY日記10
皆さん、こんにちは!Takuです。今月も当ブログをよろしくお願いします。
今月最初のブログ記事も、角松敏生のメルマガ「拡散依頼」です。メルマガの最後には新潟のキャンペーンに触れていましたが、すでに日付を過ぎているので一部の転載にしております。
次は当ブログのフォトギャラリーの更新について、ご案内する記事を予定しております。
SEA IS A LADY日記10
皆さんお元気ですか? 角松敏生本人です。
さて、今回はギターインストのアルバムをリリースするわけで、CD封入のロングライナーにも書いていますが、まぁ、「SEA IS A LADY」はもともと歌で商業的成功を収めた頃に、ある意味わがままを言って作ったアルバムで、ギタリストとして特段の自信があって作ったわけではないのです。
そういう自分の中のわだかまりを30年経った今、解消しようというわけです。とはいえ当時、ずっとギターを弾くことは好きだったので、ライブではいつも基本、ギターを弾きながら歌いますし、美味しいところのギターソロなども自分で弾いていました。
やがて歌の本分に開眼していった僕は、ギターに関しては優秀なギタリストに任せて歌に専念する、という風に変わっていきました。
まぁ、それでもアルバム「あるがままに」以降の自分の作品ではギターもしっかり弾くように、たまにソロなどもレコーディングするようになりましたが。何れにしても、その時期以降、僕は数多くの優秀なギタリストたちに巡り合い、共演を果たしてまいりました。
歴史的に見れば、その筆頭は、梶原順さん、そして 故 浅野祥之さんでしょう。奇しくも今月の20日はその浅野さんの10年目の命日でした。
レスポール探検隊を結成する時、鈴木くんとよく話していたのは、浅野さんが晩年、今まで愛用していたストラトタイプのギターを離れ、レスポールに傾倒していたことでした。
浅野さんの僕の最後の仕事は、アルバム、「Prayer」収録の“You made it” におけるギターソロでしたが、そのとき、浅野さんはレスポールに、アンプ1台、シールド1本という簡素なセットで登場、見事な音で見事なプレイを収録してくださいました。
これは一生の思い出であり、また、角松敏生が世に出した作品に収録されている幾多の名人ギタリストのプレイの中でも指折りの貴重な記録です。
1980年代後半、僕のツアーバックアップメンバーとしてパーマネントな位置を獲得していった彼は、そのキャラクターも相まり人気を上げます。
そしてついには自身のバンド「空と海と風と・・・」を結成します。歌心フュージョンとも呼ぶべき、キャッチーなメロディーとイメージを持った浅野サウンドの全盛期とも言え、多くのファンを獲得しました。
カラフルでポップな浅野さんの側面は僕の音楽活動ともよく馴染み、プロデュースを引き受けさせてもらった時期もあります。
しかし、晩年はその時期の活動のことはあまり語りたがらず、もともと彼が好きだったブルースにどんどん特化していったように思います。
ある意味、全く相反するものへと傾倒されていったようにも見えました。
80年代や90年代、彼とよくブルースの話をすると、ブルースは好きだけど、特化しすぎてやるものじゃない、奥が深すぎる、とよく言っていたのを覚えています。
そして、どこかの打ち上げで、ブルースってどうやったらいいんだ?と酔っ払って直情的な質問をした時、彼は、お前の「NO END SUMMER」は、ブルースだよ。と答えたのです。
それがとても印象に残っています。え? あんな、解りやすいキャンディーポップスがか?
と、聞き返したのを覚えています(笑)
僕は、ブルースギターのスタイル、弾き方のあるべき姿、というような短絡的質問をしたのですが、浅野さんのそのシンプルな答えには、重層的なメッセージがありましたが、根本的にはブルースは、こうすればブルースになるということではなく、ブルースな人間がやるからブルースになるんだ、という意味だと思います。
これは、ロック、という言葉にも適応できるかもしれませんが、何れにしても、ブルースやロックは、その音楽の形式ではなく、それを演じる者の生き様である ということかもしれません。
晩年、浅野さんが、カラフルなポップスを封印して、ディープブルースを目指したのは何故だったのか、予想はついても本音を聞くことは今となっては叶わぬことであります。
さて、その浅野さんが最後に使用したレスポールですが、50年代初期のものを改造したものでした。
しかし、これが、いい音していたんだな。マイクの改造も良かったのかもしれませんが、正真正銘の50年代の木材であるならば、良い音がするのは当たり前な話かもしれませんね。
過日、ご遺族と久しぶりにメールをしまして、なんとこのブログを読んでくださっていたということで。久々に浅野さんのレスポールを開けてみました、と、写真を添付してくださいまして。
近々、墓参を兼ねて拝謁させていただきたいと思いました。
「SEA IS A LADY」発売当時、そのツアー中に、下手の横好きで作った企画が当たっちゃって当惑している話を浅野さんによくしていたし、その後のツアーでも、自分はギターが好きだけれども上手くはないんだ、という話をしていた。
すると、浅野さんは、決まってこう言ってくれた。
「そんなことはないよ、角松は上手いよ、上手いというか、俺や順ちゃんには角松みたいなギター弾けないよ。俺たちはギターのこうあるべきというある程度のスタイルを知っているからそれなりに聞こえるかもしれないけど、角松はそういうのないからね。好きなように弾いてる。そういうのは簡単そうでなかなかできないんだよ」
浅野さんのその言葉は、時々折れそうになる自分をいつも励ましてきてくれた。浅野さん、また、懲りずにインストやるよ。ツアーまでやるよ。
そういえば、88年、二回目のインストツアーの時、鈴木茂さんのトラで二本くらい手伝ってもらったよね。懐かしいね。
そういえば、レスポール買ったよ。笑っちゃうよな。言っとくけど、俺はブルースなんか知らんからな(笑)
また一緒にツインギターやりたかったな。
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